まちづくり会社シャレット・デポ代表 しゅーたのブログ

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観光まちづくり(由布院編)①

近年まちづくりというワードが広まって久しいが、その先駆けとなる事例はいくつか存在する。徳島県神山町島根県海士町などは最たる例だが、九州大分の由布院もまた、その先駆けとなる街の1つである。

由布院モデル』(学芸出版社 2019)を読むと、その成功するまでのストーリーが端的に分かるのだが、そこに至るまでの流れを、この著書から引用して、探ってみる。

 

由布院は、近くにある別府の隣に位置し、寂れた温泉街であった。そこを、若手経営者が何とか現状を打破したいと、ドイツに渡り、そこで「クアオルト」=温泉保養地と出会う。そのあとは、イベントのつるべ撃ちを繰り広げるが、このイベントが由布院知名度を全国区にした。

一方で、街の緑と静けさを守ることに力を注ぎ、運動を働きかけ、条例で規制をかけた。

バブル崩壊後、本当の豊かさと癒しをもとめて「何もない」温泉地へと多くの人たちが訪れるようになる。

 

この記述だけからも、いくつかの事柄が読み取れる。まずは「人」。やはり、まちづくりが成功する事例には、必ずキーパーソンがいる。意思ある人が、数人(ここでポイントは、1人でも、大勢でもないことに着目。意思決定にあたって数人がベスト)でアクションを起こしたのが起点となっている。

それから「広報」。一過性ではあるが、イベントを沢山行うことで、沢山の人に街を周知することに成功している。個人的には、一過性のイベントはあまりおすすめしないが(なぜなら一過性なので、滞留する人を生み出すという根本的解決には至らない)、この活動によって、集客したのは紛れもないだろう。この点は分析がひつようだが、当時は先端をいってた取り組みだと考えられる。

そして、由布院温泉の売りである、「緑」と「静けさ」。一見、強いウリにはなりそうにないのだが、当時バブルに踊って乱開発した温泉街の事例は後を絶たず、バブルに抵抗し、由布院のウリを守り通したというのは賞賛に値するだろう。

 

次回は、より詳細について検討する。